昭和52年11月20日 井上家霊祭
有り難いお祭が、滞りなしに、終わらせて頂きました。もう亡くなられて丸3年。その後の遺族の方たちのご信心もさることながら、御霊様もまた、御霊ながらに一生懸命ご精進をなさっておられます。信心の、深ーいと言うか、深ーいところが分かっていっておられるそのご様子が、今朝からのご兄弟でお生けられた、あのお花に現われておるように思います。信心が例えばなくても、ご先祖を大切になさるお家があります。
信心があっても、ただ信心がおかげを頂くということだけに終始して、ご先祖を大事にしない人があります。2代金光様の御教えの中に、「目に見えるところばかりを大事にして、目に見えないところをおろそかにしております」と仰られる。本当は信心を頂いたら、目に見えるとこよりも、目に見えないところを大切にする。先ず第一に目に見えない心を、いよいよ大切にする。目に見えない、言うならばご先祖。魂の世界は見えませんけれども、やはり目に見えない世界。
表よりも影というように、「口に真を語りつつ心に真のなきこと」と言う様な事のない生き方をするのが、信心なのですけれども、信心があってもただおかげを受ける。おかげということだけに終始しておりますと、いわゆる目に見えない所を疎かにする。信心がなくてももう一家をあげて、もういつもご仏壇の中はキラキラ光っておる。水々しいしいお花がいつも入れてある。お茶もお水ももう朝晩のお勤めが、言うにさらなり。ただご先祖を崇拝するというだけ、に心からそれをなさる。
もちろんそれを信心とは思いませんけれども、そういう目に見えない、言うならご先祖を大切にされれるとこは、もう必ず家庭が円満で、何とはなしに家の中も繁盛のおかげを頂いておられる事実が、あたくしどもの周辺にいくらもあります、ね。ほんとに悲しいことですけれども、信心しておってもそのそこが分からない人がある。目に見えるところばかりを大切にして、目に見えないところをおろそかにすると。
今日のお祭などを奉仕させて頂いて、所謂信心をさせて頂く、おかげで言うならば段々目に見えない、言うならばご先祖のお祭り。言うならお婆ちゃんのこうした式年のお祭をご兄弟、家族の方達が前の前から祈りに祈られて、そして今日のお祭をなさったね。いかに御霊様の働きができれる。いかに御霊様が深い広い信心を頂いていっておられる。そして御霊の喜びの中に、喜びの御霊として安心の御霊としておかげを頂いておられても、だからと言うて、言うなら可愛い孫の所に何か送ってやろうと言う事はでけん。
信心がなくても目に見えないご先祖を大事にする。そういう人のお家は、信心はなかっても、段々おかげを頂いておるというのは、そういう目に見えないところを大切にすることを、天地の親神様がお喜びくださるからおかげになる。人間の幸、不幸と言うのは、御霊の世界においても人間の世界においても、天地のご恩恵を深ーく頂いておる人達が幸せなのでありまして。目に見えないご先祖を大事にする。
そういうだから御霊様が生き生きとして、御霊ながらの助かりを得られると言う事は、御霊が安心の御霊であり、喜びの御霊であると言うて、なら御霊は遺族の者にさあ何か送ってでもやろう、幸せをもたらしてやろうと言う事は出来んのですね。ただあたくしどもが御霊の世界、言うならば目に見えない世界を大事にすることが、天地の機感に叶う、天地の心に叶うから幸せになって行く様なおかげを受けるのであり、それに増して信心をさせてもろうて、言うならば神様の思いに添え奉る生き方をさせてもらうね。
その上に勿論目に見えない所を大切にさせてもらう。愈々心を大切にする。表よりも裏を大事にするという、そういう生き方に愈々神様が、言わば最近の御理解を頂くと、神様が感じなさると言うね。あたくしどもが感じる。今日四国の川上さんが朝の御祈念に参って見えた。まあお届けの中に、先日から大変なお夢を頂いた。それがあなた虎が出てきた。大きなそして虎がその頬ずりするように、川上さんとこへ寄って来る。もうこれは噛みつかれはせんじゃろうかと、こうもうビクビクしよった。
そこへ寄ってくるもんだから、あのひげ、虎のあのひげがね、この顔に当たってから、もうそれこそ縮む思いでおりまして、「金光様ぁ」と言うて唱えさせて頂いたら、虎がまあどこかへまあ行ったというお知らせであった。だからここが信心の世界なんですね。目にみえない世界を大事にするとかね。言うならば表よりも裏を大事にするとか。なら天地金乃神様の働きの中には、いつもなら、こう可愛いからちゅうてモジョモジョなさるところばーっかりはないと。
天地の親神様はね、場合は親ですから間違うておったら叩きなさることもありゃあ、言わば、難儀な思いをさせなさることもあるけれども、その難儀そのものが神様のお働き。虎ということは、あたくしがここでは虎年と神様は、ね。ですからあの虎年虎年とあたくしのことを、昔は「虎の年の氏子」という風に呼びかけて下さっておったが、ここでは何と言うても、言うなら「親先生」と、ここにお参りをしてくる信者が、その仲ようする信心、「信心とは神と仲ようする信心ぞ」と。
神様が仲ようしようと寄って来なさるけれども、怖いというね、その働きそのものが例えば、モジョモジョすることばかりでない、叩かれたり、なら例えば川上さんのとこで言うなら、可愛いお孫さんが人のせんような病気をしておったり。例えばこの頃から、お仕事の上にも例えば不如意なことが起こったりと言ったようなことは、いかにも困ったことであり、難儀なことであるかのように見えるのだけれども、それはより力を下さろうとする神様のお働き以外では何でもない。みんな神愛なんだ。
だからそこが分かるということが、信心が深く分かるということなんです。それは虎が寄ってくるのですから、怖くもあったりジガジガもするようですけれども、神様もね、そういう言うならば、それもただ可愛い可愛いという思いの念。言うならばこれは親の情とするならば、母親の愛と父親の愛ね。母親の、例え父親が怒っても、母親がそれをカバーしてくれるような働きが天地の中にはあります。
天地の親神様の信心を、金光大神のお取次によって段々させて頂くようになるとね。例えば降ることもあるけれども照ることもある。吹くこともありゃ暑いもある寒いもあるんだけれども、1番都合の良い春か秋のような時ばーっかじゃないということ。その夏があって反っておかげ。冬があって反っておかげというその、冬の厳しさ、夏の言うならば、暑さといったようなものをも一緒に合掌して受けれるようになった時に、言うなら四六時中が有り難いということになるんです。
ですからいつも有り難いという念を起こさせようとする働き。力をくださろうとする働きがです、神様が寄り添うてくださるのだけれども、それが難儀を持って寄り添うて下さるもんだから、もう難儀はあちらに。さあ今度は税務署があげな問題が起ったからこれで潰れたりせんじゃろうかと思う心なんです。実はそうではない。神様の働きをほんとに分からせようとする働きですからね。それこそその虎と頬ずりするような言わば、信心ができた時がほんとのこと。言わば信心が深ぁく分かったということ。
今日の御霊様の場合は、この深く広くとは頂けませんけれどもね、御霊の言うならば位も一段と進み、信心の深さに非常に深さに触れて行った意味の事を頂きます。言うならばあちらでもまあ神様と、まあお付き合いができておられると言う様な感じ。今日の松がそうなんです。ね、ここでは松の信心を一番大事に致します。言うならばほんとに、桂松平先生とか石橋松太郎先生とか甘木の安武松太郎と、もう生きながらにして神の位を頂いておられた方達とのお付き合いも、まあできておるような働き。
あの3つのバラは井上さん達、あなた方3人のねあの菊のお知らせは、井上家の信心と今日は頂きました。それから後ろにあの何でしたかねあの、茶色の花がありましたよ、なんちゅう名前やったかいな。あれは桐ですか、あれが今日のまあご親戚の方達にあたられる、今日のお祭りの表現が、あの花に現われておるという事ですよね。いよいよ御霊様も深いところに、言わば入っておいでられておるような感じ。
お互いの信心もいよいよね、虎を、虎を怖がらんですむ、難儀を怖がらんですむね。それを合掌して受けれるような生き方。そう言う様な生き方が身に付いた時に、暑い事も有り難い、寒い事も有り難いのであって、いよいよ春も秋も有り難いことになる。四六時中が有り難い事にならなきゃいけんのです。はあ夏は嫌い、冬は嫌だと言うわけにはいかん。そこんところを分かることが、信心のあたくしは深さと言うのじゃないだろうかという風に思うんです。
御霊様の位が一段と進まれると同時に、遺族の者の信心もまた広く、次には5年祭。5年祭には今度は広くと言うような意味合いでね、おかげ頂かれるようになるだろうと思います、ね。深く広くと言う時にいよいよこのプラスですね。ほんとの意味でのおかげが現れてくることになるんじゃないでしょうかね。今日はそんなことを頂きました。有り難うございました。